それは、はるか遠いところのお話。
母なる太陽と、3つの惑星を持つ、グラール太陽系。
そこに住むヒューマン、彼らから作られたキャスト、ビースト、ニューマン。
異なる4つの種族は500年にもわたる戦争の後、共存する道を選んだ。

グラール教という、この文明に古くから伝わる宗教がある。
その最も根強い惑星ニューデイズで、新たな事件が勃発した。

トクキ戦災孤児院で起きた、背信行為に他ならない人身売買である。
その裏を取ったフェイはすでに現地入りし、犯人をあと一歩のところまで追い詰めていた。

一方ガルバは、ライアに言われて向かったオウトク支部にて、孤児院の少女サクヤの話を聞いていた。



第5章「雷光姫」




(1)
特殊な生態系のせいで通常よりフォトンが濃い場所を、惑星ニューデイズでは禁止区として区別していた。
本来フォトンは人体に悪影響を及ぼす物質ではないのだが、かといってとり過ぎてもいいことはないらしい。
ここハビラオ禁止区でもそのせいで人の手が入っていない完全な自然だったので、裏取引をする者たちにはよく使われていた。

グラール教団は、あまり積極的に民生には関わってこない。
教団は飽くまで信仰という手段のみを通じて信者と繋がりを作ろうとするため、面倒な事件は他に投げることが多かった。
ただし、教団の内部事情などが対象となると話は別だ。
軍隊といっても相違ない警衛士たちが常駐しているので、その面でのセキュリティは一級品である。

この日、ハビラオ禁止区の中でも最も謎が多いとされる未踏査地区に、子連れの男がやってきていた。
子どもはもうだいぶぐったりとしている様子だった。濃いフォトンがその子の体力を奪っているのだろう。

耳をすますと、気だるそうな声が聞こえてきた。
子どもが男に対して何かをしきりに訴えているのだ。
しかし男は子どもの言うことを完全に無視している、そんな絵である。

その全ての様子を、フェイは記録していた。
データは逐一本部に送られているので、消滅することもない。

ハビラオ禁止区、ブロックD、大きなキノコの下。
そこで3回立ち止まって3回後ろを向け。

男は言われたとおりにしていた。
フェイが闇取引業者になりすまして仕組んだ罠にまんまと引っかかったわけだ。

これで完全に裏が取れたのだ。
連れている子どもは、商売道具のつもりなのだろうか。
ぐったりとしてしゃがみこみ、歩くのさえ辛そうな子どもを男は無理矢理引っ張っていこうとしている。

トウマ・トクキ。
トクキ戦災孤児院の何代目かの院長を務め、周囲からの評判も上々。
彼は大変に敬虔なグラール教信者であり、孤児院の維持費も教団から一部拠出されているという情報もフェイは得ていた。

だが、裏の顔はこれだ。
孤児院に関わっていない人は、よもや成長した子どもがこうやって売りさばかれていることになど知るまい。
里親が見つかって孤児院を離れたのだ、とかトウマが嘘をつけば簡単に騙されるだろう。
現に依頼があるまでは、フェイのいるガーディアンズも騙されていたのだから。

フェイは再度カードを確認した。
依頼主はサクヤ・トクキ。報酬はなく、そもそも用意されていないという。
それもそうで、サクヤはトクキ孤児院の単なる年長者であり、働いてもいなければお金持ちの家に住んでいるわけでもないのだ。
だが、いつかもそうだったが、ガーディアンズは同業者組織や傭兵とは性質を大きく異にする。
人権に関わるような重大な事件には積極的に乗り出してそれを守るのは、彼らの大事な任務の一つだった。
だから、ガーディアンズはサクヤからの依頼を絶対に断れないのだ。

ただし今回の相手は確かに厄介だとフェイは思っていた。
相手が完全な悪人ならばすぐにでも御用で逮捕なのだが、ターゲットは孤児院の院長だ。
下手を打てばガーディアンズの信頼失墜に繋がりかねないから、完全なる証拠を掴む必要があったのだ。

フェイはだから、すぐにこの任地に赴かなかった。
依頼を受けてしばらくは、フェイは総合調査部に頼んでこのトウマ院長の過去数日間を洗った。
するとこの日ついに、調査部から、トウマと密会していたとされる人物の情報が入ったのだった。
その男はローグスだったので、軽く叩きのめして事情を吐かせ、まず任務の第一段階を終えた。

そして、その今現在最終段階に入ろうとしているのだ。
新たに得た実際の取引相手からの情報によって、難なくこのトウマ院長を人のいない場所に誘い出すことに成功していた。

イラつきを隠せなくなってきているトウマの目の前に、スッとフォトンの刃が現れた。
フェイが上っていたキノコの上から飛び降りてレイナードをトウマに突きつけたからだ。

すぐに事情を察したトウマは、案外おとなしく手を上げた。

「そこに跪いて。手を頭の後ろに、そのままうつ伏せになりなさい」

トウマは言われたとおりにした。何か非があるから何も文句を言わないのか、覚悟はしていたのか。
何にせよこの事件はこれで丸く収まるはずだった。




(2)
全て話を聞くまでもなかった。
ガルバたちはサクヤの願いを聞き入れて、すぐさま現地へと向かっていた。

サクヤがガルバたちに話した内容は、事件の真相ともいえるトウマ院長のある病気のことだった。
院長先生との最後の晩餐となるはずだった、この日の前日。
孤児院では年長でトウマと同じく熱心なグラール教信者であるサクヤは、トウマに呼び出されてあることを聞かされたという。

「院長先生の犯した罪は、星霊に対する背信です。私は、院長先生を今でも恨んでいます」

エアボードの上でガルバにしがみついているサクヤが言った。
信じていた人が最悪の形で自分を裏切ったという事実は、サクヤの心に深い影を落としていた。
だが、恨んでいるのに何故サクヤは自分の出した依頼と反対のことを再度頼んだりしたのだろうか?

それは、トウマがかかってしまったというその病気に端を発していたのだ。
ガーディアンズの厳しい捜査で寝る間もなかったトウマは、病気と疲労からたった数日でだいぶ弱っていたという。
トウマがサクヤを呼び出したのは、この世界に再び襲いかかりつつある危機を、彼なりの形で残そうとしたからだった。

まず、彼の病気は絶対に根治しないという事実と、簡単に他人に感染してしまうということ。
彼が連れ出した子どもは、彼の病気が伝染してしまったことが確認できた子どもであったこと。
他の子に感染してしまわぬうちに、最悪な手段ではあったが、それも孤児院を病気から守るためだったということ。
いなくなった子どもたちの消息については、すでに信頼おける人物に依頼して把握しているということ。

そして、この病気について恐らく一番情報を持っているガーディアンズに相談しても、全く取り合ってくれなかったということ。

サクヤは呼び出されて、トウマにあるものを見せられた。
袖を捲り上げたトウマの腕には、黒いあざのようなものが発症していた。

これはね、サクヤ。SEEDウィルスと呼ばれるものだそうだ。
トウマは無表情のままサクヤにそう言ったという。

マヤが言った。かつて、このSEEDウィルスにやられてしまって、実際に体をSEEDに奪われた人間がいるということを。
ガーディアンズの内部でもこのことを知っているのは上層部と現場にいたものだけだという。
つまりは、いまだ記憶に新しい、イーサン・ウェーバーらが活躍した数ヶ月前の封印戦争で、最前線にいた者たちのことだ。

ガルバは、自分の所属するガーディアンズに対して怒りを覚えていた。
完全に封印したはずのSEEDがまだこのグラールに残っている、それだけで十分に混乱が起こることは誰にも予想できた。
だがそれが、唯一情報を持っているガーディアンズがその事件から逃げていい理由にはならないはずだとガルバは思っていた。

だからこそ、ガルバはサクヤの願いを聞き入れることにしたのだ。
二人にはマヤも同行し、再び通信機はライアに繋がっていた。

「ガルバ、いいね?絶対に早まるんじゃないよ!!」

何度も何度も、念を押すようにライアがそう言っているのが聞こえた。
そのいらぬおせっかいをかき消したい一心で、ガルバは思い切りエアボードのスピードを上げた。




(3)
目の前で起こっていることを、トウマに連れてこられた子どもは理解できずにいる様子だった。
どういう理由でこんなところまで連れ出されたのか知らないが、フェイの次の手は子どもの安全の確保だ。

ぼーっとしている子どもにフェイが近づこうとしたその時、うつ伏せているトウマが喋った。

「ガーディアンズよ、その子に近づいてはいけない……」

苦しそうな声だった。トウマは拘束されつつも、ようよう頭を上げてそう言った。
トウマの言葉の意味を少しだけ考えたが、フェイはそれでも子どもに近づいた。

「もう大丈夫よ。さ、おうちへ帰りましょう」

出来るだけ優しい声音でフェイがそういうと、子どもの目が少しだけ動いてフェイを捉えた。
どこか、焦点が合っていない。さすがにフェイも様子が変だと思い始めた。

「………ーーーーッ!!……」

トウマの方を向いてこの理由を尋ねようとしたところ、何やら叫びながら何かがこちらに向かって急接近しているのに気がついた。
先生、と言っているようだ。その声の大きさと、自分をそう呼ぶ人物を特定すると、フェイには一人しか思い浮かばなかった。

しかし、何故。
程なくして声の主、ガルバがマヤと見たことのない少女を連れて目の前に到着した。

「先生ッ!!……ハァ、間に合ったぁ」

何に間に合ったのか、ガルバがほっと胸を撫で下ろしている。

「ガルバ……それにマヤまで。おかしいわね、機密調査部の任務がこうも簡単に漏れるなんて」

「元々この任務はオウトク支部に依頼されてたのよ。まあそれでも、本当は知らないフリをしないといけないのだけど……」

マヤは誰かを探しながらそう言った。
そして彼女の視線が一点、サクヤとトウマのところに合わさる。

サクヤは、拘束されて身動きがとれないトウマのところに駆け寄っていた。
見るも無残な院長の姿に抑えていた感情があふれ出してしまったのか、サクヤはトウマのそばで泣いていた。

「院長先生……ごめんなさい。私、わた…し…」

「いいんだサクヤ。お前はよくやった。お前のおかげで、私はこれ以上罪を犯さずに済んだのだから」

フェイには一切状況が理解できなかった。
完全に裏までとって人身売買の実態を突きつけ、あと数分あればトウマを連行することができていたのに。
それにどう見てもこれはガーディアンズの規約違反だ。他人の任務の進行に影響を与えるようなことは禁じられているはずだった。

「どういうことか、説明していただこうかしら?」

フェイはレイナードをしまわずに、マヤとガルバを脅した。
すると何も言わずに、ガルバが手にした通信機を前に差し出した。

「フェイ、悪いね。でも落ち着いて聞いてくれ。悪いのはアタシだ、ガルバたちじゃない」

「ライア……あなた、全て知っていて私に依頼を出すよう本部に掛け合わせたとかなら……」

ただじゃおかない、という言葉がフェイの口から出る前に、ライアが反論した。

「それも違う!!フェイ、いいかい?これは緊急なんだ!
あんたとて、ユートピアの悲劇を繰り返したくっ………!?」

金属がはじける音が響き渡った。

フェイの意識の中に、刺さるような衝撃が走る。
何故、そのことを……。


お前しかいないんだ、このことを世界に伝えられるのは。

殺せ、手遅れになる前に。

俺のことなら、いいから


何が良かったのだろう?
しかし引き金を引いたのはフェイ自身だった。

目の前に転がっているトウマと、あのことに何の関連が?


遊覧船ユートピアの悲劇……。
乗員乗客全て、とあるガーディアンの錯乱によって殺傷された事件。
そして、同じく任務に当たっていたもう一人のガーディアンも命を落とした。

そのガーディアンには、裁判なしの死刑が言い渡された。
自害を迫られた牢内でその犯人は、突如茫然自失だった状態から回復し、訴えかけたという。

最初で最後の、ユートピア事件の裁判が開かれた。

被告の人物は叫んだ。
SEEDは滅んでなんかいない。
近いうちに、再びこの文明は襲われる。

この情報を公開し、全宇宙に警戒を発せねばならない。
それが彼の遺言だ……稲妻の騎士、アルベルトの。

その後なら自分はどうなっても構わない。


だがこれは、非公開処分となった。
証拠となった当時の通信記録とともに。

その代わり、死刑を宣告された被告には猶予が定められた。
与えられた命、一度は失くした命を胸に抱き、ここに機密調査部が復活した。

そのガーディアンは、フェイという名前だ。


最悪の記憶の人物と自分とがぴったりと一致するとき、フェイはいつも自分が誰なのかわからなくなる。

ガルバの通信機が宙を舞った。
レイナードの切っ先がガルバの手から通信機だけをはじいて弧を描いたのだ。

「ハァ……ハァ……」

何を説得するつもりだったのだろうか。
とりあえず、ライアのその発言でフェイの混乱はさらに増大してしまった。
何が起こったのかわからずとりあえず頭を抑えるガルバと、口を抑えて息を呑むマヤ。

憎悪がフェイの精神の中で渦巻き、行き場のない怒りが溢れ出して来る。
何故、今この状況でその名前が出てくるのか。フェイには全く理解できなかった。

通信機が地面に落ちてくる。すでにライアの声は聞こえなくなっていた。
フォトンの刃の直撃を受けてバチバチとショートしており、もう使い物にはなるまい。

「いやああああああああっ!!!!」

意識の食い違いが顕著になっていたそんな空間に、サクヤの悲痛な叫びが響き渡ったのはその時だった。




(4)
ガルバははっとしてサクヤたちの方を見た。マヤも少し遅れてそちらに視線を移す。

「サクヤ、ソレに近づいてはいけない…早く逃げなさい!」

トウマが縛られたままそう叫んでいるのが見えて、次に腰を抜かしたサクヤ、その次はさっきまてそこにいなかった何かが……
その何かは、恐ろしいほどの跳躍で瞬時に視界から消えた。
ガルバはナノトランサーに手をかざしつつそれを目で追うが、追い付くころにはまた消えるの繰り返しだ。

一歩下がる。そこにマヤが移動しておりぶつかった。
直後、「どいてっ」という声とともに、鈍器のようなもので思い切り前に押されてしまった。
ガルバが声を出す前に、マヤのいる場所から上空にディーガが弧を描いて一発飛んでいったが、手応えはないみたいだった。

ガルバは混乱していた。こんなときはどうすればいいんだ!?
しかし、誰もそんなことを教えてる余裕のある人はいない。

もう一度ガルバは辺りを見回す。
高速で動き回る何かを目で追い、その場から身動きが取れなくなっているマヤがいた。
よく見ると地形は最悪で、走るに走れないし、足を踏み外せばどこへ落ちていくのかわからない急な坂道の連続。
変な形をしたキノコがあちこちに樹木のように生えている。
その何かは、天然の要塞の中を捕捉されないように飛び移っていっているのだ。

サクヤは頭を抱えて震えていた。
一瞬だけだったとはいえ、例の何かを最も近くでみたのはサクヤである。
ガルバたちが視線を向けたときにはすでにいなかったのだから。
そして、フェイに拘束されて動けなくなっているトウマがハムのように転がっていた。

それに近づいてはいけない、とは何になのか?
ガルバはない脳みそをフル回転させて考えた。

怯えているサクヤ、いつもと違ってデッドヒート全開のマヤ。
推理だ、とガルバは自分を落ち着かせた。
そんなのは得意ではないのだが、一つ一つ整理していくことにした。
急に出現した謎の物体と、いたはずの子どもの姿がないこと、SEEDウィルスは人へ感染すること。
ここに転がっているトウマは、すでにSEEDウィルスに感染していること。

SEEDウィルスに感染してしまった人間はどうなってしまうのか?
その疑問にたどり着いた時点で、ガルバの思考は停止した。
突如目の前に降り立った「例の何か」が、サクヤたちの方に飛び込んでいったからだ。

すぐさま、かざしたままになっていた手をナノトランサーから離して、同時に小振りの武器を取り出した。
ガルバは図体はでかいが、手先が器用であった。取り出した武器はGRM社製の廉価武器「ダガー」をアレンジしたものだ。

ガルバ製のダガーといってもいいそれの切っ先から、炎のような特殊なフォトンが形成される。
テクニックが苦手なビーストが、クバラ品などの力を使ってそれと同じような現象を作り出そうとすることはよくある。
この時ダガーから噴き出した炎は、リアクターの大きさもあって、牽制には十分すぎるほどの性能だった。

サクヤがまた声を上げた。
本当に恐怖に晒された人間は、わーきゃーではなくこういう声を出すのか、というような叫び。
怪物に隠れてサクヤたちの姿は見えなかったが、ダガーから飛び出た炎が当たるが先か、怪物の速さが先か微妙なところ…。

そういえば、フェイの姿が見当たらない。
ダガーを振り回しながらガルバは思った。こんな時、フェイならばどうするのだろうか?

全てがスローモーションに映った。
マヤは、間に合わなかったことを悟って悔しそうな表情をしている。
唯一手の届く距離にいる自分は、多分サクヤたちとそう変わらない顔のはずだった。

ガルバは怖かった。ただひたすらにSEEDというものが怖かったのだ。
謎の宇宙生命体。侵食、汚染された大地は生態系が崩れ、原生生物たちは凶暴化する。
そのSEEDウィルスが人に感染するというようなことは前例がないはずだった。

サクヤの話を一緒に聞いたマヤは、何故か微妙な顔をしていた。
まるでSEEDウィルスが何なのか知っているかのように。
そうでないなら、装備開発課の彼女がこんなところにまでついてくるはずがないのだ。
ライアに頼まれた自分だけが何かあったらフェイを止めるという手筈だったのだが、それどころではないことになっている。

それにしてもフェイは、先ほどはかなり錯乱した様子だった彼女はどこへ行ったのか。
フェイと過ごした時間は短かったが、ガルバは彼女に対して、なんてプライドの高い人なんだという印象を持っていた。

任務に対する姿勢は真面目だし、抜かりはないし、それでいて彼が訓練校で見たどの教官よりも腕が立つ。
ガレニガレで様子がおかしかったのは、ライアがしゃべりかけたことに理由がありそうだとガルバは思っていた。

これらは、ほんの一瞬だ。
ガルバが駆け出してダガーを手に取り、特殊装置を起動させて炎を発現させたという数秒間の出来事だった。

サクヤの悲鳴だけが物音のない空間にこだまする。
時間が動き出し、炎がぼうぼうと音を立てて噴き出るも、とたんに位置が下がってきた。
ガルバが足元の草根っこに足を取られてしまったのだ。

怪物はもう攻撃態勢に入っているようだった。
万事休すか、ガルバも叫びそうになった。目の前で人が死ぬかもしれないという場面。

しかし、そうはならなかった。




(5)
怪物……いや、あれはSEEDだ。
フェイは地面を蹴って捕まったツタにぶら下がりながらそう確信した。

ライアの発言で揺れまくった心も、この出来事に対処するために何とかもう一度自制心が働いてくれたようだった。
思い出したくない過去であることをライアも知っているはずなのに、それを知らないガルバもいるのに。

フェイの体を怒りが支配したのと、怪物が飛び上がっていったのは同時だった。
そのおかげでフェイは反射的に手にしたレイナードの有効射程にSEEDを捉えたので、場に合わない悩みは消え去った。

あのSEED、戦いなれてはいない。それもそうだ、とフェイは思った。
直感的に、トウマが連れていた子どもに何らかの変化が起こったのはわかっていたのだ。
それがあの事件のときと同じならば、あの子どもはもう元には戻らないだろう。

迷いはあった。だが、そうするしかないとフェイは自分に言い聞かせる。
自分のちょうど真下で、ガルバがこけた。あれは何をやっているのだろうか?

レイナードからフォトンの弾丸が発射された。
十分に充填されたフォトン弾は常より大きく、一撃でSEEDの右腕、巨大な鎌のような部分を弾き飛ばしていた。

同時にフェイは着地する。やるしかない。
ここにいる他の人間の手を汚させないためにも、汚れている自分がやらねばならないのだ。

レイナードが怪しく輝き、フォトンアーツの準備が整った。
しかし、片腕を失ってバランスを崩したSEEDは、ギリギリでフェイに気づいて高く飛び上がる。

舌打ちをしながら前に出ると、ふぎゃーという声が聞こえた。
根っこに足をとられて転んでいるガルバだ。

ガルバの肩に足が乗っているのに気づいたフェイは、ここで妙案を閃く。

「ガルバ、思い切り起き上がって!!」

言われずとも、起き上がる気満々だったガルバがその巨体を持ち上げた。
バランスを崩さないようフェイは足を乗せたまま屈み、ガルバが完全に立ち上がった瞬間に蹴飛ばした。
その足蹴にガルバは再び転ぶ。

「逃がすかっ!!」

飛び上がって空中でSEEDと位置が合わさる瞬間、フェイはレイナードでフォトンアーツを発動した。
レイナードを媒介して、フェイの体に瞬時にフォトンエネルギーが集中する。
それは即座に推進力に変わり、慣性を無視して空中で突進をかける。

「ギャアァァッ」

SEEDの背中に深々とレイナードが突き刺さり、奇妙な声を上げた。
フェイはそこで真下を向き、リアクターをオーバードライブさせて思い切り地面に叩き落す。
そして、フェイ自らも落下とアーツの推進力でそれを追った。

「終わりだっ」

レイナードを構えなおし、体と武器に充填されたフォトンを一気に集中させる。
ライジングスマッシュの叩きつけ版とでも言うべきフォトンアーツだ。

しかし……。
トドメのフォトン弾が発射されようとしたその時、信じられない光景がフェイの目の前に飛び込んできた。




(6)
涙で顔がくしゃくしゃになっているサクヤが手を広げて、落ちたSEEDの前に立っているのだ。

そんなことをされたらさすがに攻撃を中断せざるを得ないのだが、フェイは追跡していた推進力のまま地面に激突してしまう。
体を強打しつつも何とか立ち上がり振り向くと、そこには人間の子どもの顔をしたSEEDが苦しそうにサクヤに支えられてた。

「殺さないで……。この子は化け物なんかじゃありません!!元に戻る方法がきっと……」

イダイヨ、サクヤオネーヂャン
血の涙を流しながら、口から得体の知れない何かを垂れ流しながら、SEEDと化した少年が呻く。
サクヤはしきりに、身長が倍近くになっているそのSEEDに、大丈夫、星霊さまが守ってくれる、などと言っている。

甘い。
フェイはその状況に飲まれる前に、臨戦態勢に戻った。
もはや戦場と化したこの場において、そんな甘い感情を持てば死に繋がる。

もう、あの子は助からないのだとフェイは直感で感じていた。
祈って治るなら医者はいらないのだ、それはフェイが宗教が嫌いな理由でもあった。

ガルバはトウマの前に立ってソードを構えている。
姿はなかなか様になっているが、足が震えているので戦力にはなるまいと、フェイは意識の中からガルバを切り捨てた。
挟み撃ちに出来れば、このSEEDも後一押しで倒せそうだが。

マヤは少し離れた場所で腰を抜かしていた。
元々戦闘向きではない彼女だ、これは仕方がない。

ということは、落下の衝撃で体を痛めた自分ひとりでここを乗り切らねばならない。
時間さえあれば応急処置も出来たかもしれないが、やはりこういうときに限って時間というものは待ってくれないのだ。

体を支えあうSEEDと少女の間に、赤い雫が舞った。
サクヤの背中に、SEEDの爪がたったのだ。

「サクヤーーーッ……うぷっ」

トウマの悲痛な叫びがその瞬間に辺りに響き渡った。
刺された部分から鮮血が噴き出し、サクヤは苦痛に顔を歪めている。
それを見てかトウマは、泡を吹いて倒れてしまった。

キシャアアアアッ

わけがわからないという表情でサクヤは呆然とし、SEEDの方を見た。
目の焦点が完全に合っていない少年は、口を大きく開いて震え、何かに耐えているようだ。

「星……霊さ…」

爪が引き抜かれると、サクヤはその場に伏せた。
見たこともない惨状に平常心を失ったらしいガルバがその場に駆け寄っていくのが見える。

ガルバはあろうことか武器を捨て、倒れたサクヤを抱き起こして揺さぶっていた。
だが、口からも血を流しながら、サクヤは徐々にまぶたを閉じていく。

言わんこっちゃない。
これまで数多くの人命が失われていく瞬間を目にしてきたフェイは、ガルバと違ってこの状況も落ち着いて受け止めた。

とはいえ、落ち着いてばかりでは本当にサクヤが死んでしまう。
ガーディアンズとして、クライアントの命が危険に晒されているのを無視するわけにはいかなかった。

「マヤっ」

戦いにおいて、一番恐ろしいのは予想外の行動だ。
それも、敵のそれより味方のが性質が悪い。
こう動いてくれるはずだと信用していた味方が一つ間違うと、自分まで危険な目に遭うからだ。
この時のガルバの状況は、ちょうどそうであるといえた。

ガルバは使い物にならない。
マヤを大声で呼びつつも、フェイはSEEDから目を離さなかった。
時を置かず、しっかりとした足取りでマヤが近づいてくる。

「二人を頼んだ」

隣に来たマヤに目も合わせずそう言って、フェイはもう一度レイナードを構えなおした。

「ええ、わかってるわ」

戦い慣れているからこそ、無用な言葉は必要ない。
マヤはさすがにあの戦争を戦い抜いただけあって、そんじょそこらの機動警護部の戦闘力ならば凌駕していた。

フェイはSEEDの懐に飛び込んだ。
レイナードがもう一度フォトンアーツを発動させるために輝き出す。

その時、SEEDウィルスの影響で硬質化された皮膚が再び子どもの顔を覆い、急激に巨大化をはじめた。
このハビラオ未踏査地区の辺り一帯はSEEDの好物であるフォトンが凄まじい量存在するので、回復の隙を与えてしまったのだろう。

フェイが繰り出したレイナードの一撃と、SEEDが復活した右腕の鎌を振り下ろしたのは同時だった。
先ほどよりも単純に腕力が上昇しているためか、フェイは衝撃を受け流しきれずに後退する。

マヤもSEEDの懐に近い場所にまで走りよった。
手にしたクロサラというヨウメイ社のウォンドを振り上げ、詠唱をはじめる。
使い慣れているのとフォトンが必要以上に集まりやすいために、マヤがレスタの準備を終えるのは一瞬だった。

レスタは、体内に流れるフォトンの量を調整して新陳代謝を一時的に高め、傷を癒すテクニックだ。
戦闘タイプでフォースを選ぶことの多いニューマンたちにとってはもはや出来て当然のフォトンアーツだった。

白く輝くフォトンの光がサクヤとガルバを包みこみ、遠目からも出血が止まったのが確認出来た。
あとは衰弱した体力を回復させないといけないが、それはこんな応急処置のレスタでは無理な相談だ。

フェイは体勢を立て直すたびにSEEDに向かっていったが、同じ要領ではじかれてしまう。
無論マヤのテクニックの隙を作るために他ならないのだが、そうやっているうちに今度はフェイがやられてしまいかねない。

最初のレスタが終わったのをフェイは確認して、跳躍した。
上を取ったのは、巨大化のせいで動きが鈍くなったSEEDの死角をつくためだ。
すぐにあてずっぽうで振った鎌がフェイに迫ったが、最初の跳躍だけでそれは回避できていた。

SEEDは、泣き叫ぶような声を出した。
この先に待っている自分の破滅を知ってしまったかのように。

今度のフェイは、サクヤの邪魔も入らなかったので抜かりなかった。
左手を前に突き出し、隠していたもう一つの武器を発現させる。
案の定往復して戻ってきた鎌がフェイの落下と同時に左手に触れたが、何故か鎌は焼けただれて崩れ落ちていくではないか。

バーニングリフレクトと呼ばれる光波盾専用のバレットが、SEEDの腕を弾いて燃やしたのだ。
光波盾とは、フォトンシールドと呼ばれる新しいフォトンウェポンのことである。
カテゴリは片手射撃武器だが、射撃性能を完全に破棄した代わりに、接近戦専用の高い防御力を発揮することに成功している。

ザシュッ!!
次の瞬間には右腕を振り下ろしたフェイがSEEDの左肩を捉えていた。
フォトンの刃に触れた部分がすぱっと綺麗に切り裂かれ、妙な色をした体液がそこから流れ出す。

呻き声をさらに強くして、SEEDは苦しんだ。
その隙にマヤがさらに奥へ進み、倒れているトウマに近づいていく。
ガルバも何とか立ち直ってサクヤを抱えてそちらに走っていったため、ついにフェイとSEEDの一対一の構図が出来上がった。


フェイはこの一対一を最も得意としていた。
それは、彼女が使用するエクストスと呼ばれる特殊戦闘タイプの特徴ゆえであった。

しかしエクストスは、ガーディアンズでもかなり絶対数が少ない戦闘タイプだ。
何故ならガーディアンズは、様々な場面に柔軟に対応することを求められる上に少数精鋭で行動することが多いことから、特化された戦闘タイプは都合上選ばれにくいのだった。

エクストスは、一対一専用ともいえる特殊な武器の扱いのみに特化している。
使いこなせれば常に平均以上の結果を残すが、その性質上、やはり多くの敵を相手にする場合は他に劣る面が多い。
逆に一対一ならば、研究されている戦闘タイプの中では間違いなく最強で、その理由はいくつかある。

遠距離、近距離攻撃を同時に行うことが出来るガンブレードが使用できること。
白兵戦において重要な要素の一つである前線維持のための防御性能を底上げするフォトンシールドが使用できること。
そして、他の戦闘タイプに比べてフォトンで調整する部分の能力のほとんどを武器のサポートではなく身体能力に充てていること。
そのため普通よりも非常に素早い行動が可能だが、同時にフォトンウェポンの使用を大きく制限されるというデメリットも持つ。
また、プロトランザーほどではないにしろ、多数のトラップの扱いにも長けている。


フェイの攻撃で回復が間に合わない程度まで負傷したSEEDは、巨体を支えきれずに崩れだした。
それでもなおテクニックのような攻撃を繰り返してくる。フェイはそれを避けながらチャンスを待った。

フェイは少しだけ考えた。
何故ガルバたちがこの事件に介入してきたのか、である。
ライアは言わなくていいことを言うし、マヤは何か隠してそうだし……。

大雑把なのがビーストなら秘密主義がニューマンか、という結論に達して、一旦思考を止めた。

その背後では、やっと起き上がれるようになったトウマ、サクヤとそれを治療するマヤ。
そして、またも震えることしか出来なくなっていたビギナー、ガルバの姿があった。




(7)
あの人は怖くないのだろうか?ガルバはフェイを見てそう思っていた。
ガレニガレで見せた異常なまでに錯乱していたのは何だったのだろうか。

眼前では、フェイがSEEDを完全に圧倒している。
凄まじい戦闘力だった。訓練をつめば人間でもあそこまで出来るか、という実証であった。

自分の腕の中で、ようよう目を覚ましたサクヤが涙を流しながら何やらブツブツ言っている。
マヤはサクヤと倒れたトウマをテクニックで同時に治癒しつつ、SEEDの方を見ている。

ふと、ガルバがマヤの方を向いたとき、ちょうど目が合った。
マヤはすぐにフェイたちの方に向き直ったが、小さな声で喋りだした。

「SEEDウィルス、ね。むごいものだわ。生物がその他の生物の体を乗っ取るんですもの。
あのHIVE総攻撃の時にも、ここまでひどいSEEDの被害はなかった。ある一例を除いてはね……」

ガルバはマヤの話をじっと聞いた。
こういう時にしか聞けないと思ったからだが、マヤも今以外ではこの話が出来ないだろう。

「私たちの文明とSEEDは他人だった。だから、戦争が起きたのよ。
彼らとて知的生命体。目的がなければこちらに攻めてこない。彼らの目的がAフォトンだったのは知ってるわね?
あの時はまだ、まさかSEEDがこちらの人間の体を奪うウィルスになるなんて思いもよらなかった」

「似たようなことがあったんッスか?」

「事の発端はタラギ……教授っていうAフォトンの研究者が辿った運命に重なるわ。
彼もちょうど今のようにSEEDに体を奪われてしまって……命を落とした」

タラギ、と言った後の謎の空白のことは、ガルバは聞かないことにした。
ただじっとマヤの話すことを聞くしか今の自分には出来ない。
サクヤも意識を取り戻してからは、ガルバにしっかりとしがみついてマヤの方へ意識を向けているようだった。

フェイが今にもSEEDにとどめをさすというところまで来ると、サクヤが呟いている呪文のようなものが激しくなる。
よく聞けばただのお祈りなのだろうが、目の前で自分の知っている人間が怪物になって、それが殺される寸前だとなれば誰だって祈りたくなるだろう。

「悲しみを背負ってるのは、フェイだけじゃない。私はあいつの弱さが気に食わなかった。
ユートピア事件の後は自分の殻に閉じこもって、罪を清算したつもりでいるあいつが…」

またユートピアだ。当然ガルバはその事件のことは知らない。
同じガーディアンズにも詳しく話せないような事件なのだろうか?
ガルバは自分が仲間はずれにされた気分になっていた。

しかし、何故マヤがこの依頼を本部に届けたのだろう、という理由がわかった気がした。
何があったかはわからないが、フェイとマヤは似たような境遇にあったみたいだ。
それでマヤは、フェイと自分の違いを比較して行き場のない怒りをどこかに溜め込んでいたのだろう。

ガルバはその時どういう表情だったのだろうか。
自分では顔を見れないからわからないが、どうやら妙な顔をしていたらしい。
何故なら、マヤがガルバのその様子を見て、話と途中でやめたからだ。

いつものはにかんだマヤの表情は、精一杯の作り笑顔なのかもしれない。
通信機の向こう側でフェイの話をする時のライアが見せていた表情によく似ていた。

「ごめんなさいね、別にフェイは悪くないのよ。そんな怖い顔しないで」

マヤはそう言うと、再びサクヤとトウマの治療に専念しだした。
全て聞けなくて少し残念だったが、ガルバはマヤの邪魔にならないようサクヤを傍らに置いて立ち上がった。

もう眼前の戦いは終わる直前であった。
崩れてほとんど動かなくなっているSEEDは、またところどころがかつての少年の姿に戻りつつある。

「先生……」

「こないで」

「はっ、はい」

自分の方を向いてもないのにやたら返事が早かった。
とはいえまた座り込む気にもなれないガルバは、その場に立ち尽くすしかない。

その時、マヤが少しだけ息を呑むような物音が聞こえたかと思うと、淡い光がSEEDを包みだした。
フェイがそれに気づいて、凄まじい形相になっていく……。何が、あったのか?

「何をしているのよ!?マヤ、その子を抑えてて!!」

マヤはそう言われて、戸惑いながらも行動した。
がさがさと慌てて立ち上がる音がガルバの耳に入る。

すっとSEEDが立ち上がった。崩れた肉体のあちこちが回復していた。
ガルバが確認した時、後ろにはマヤに引っ張られるサクヤがおり、その手はまっすぐSEEDの方へ向いていた。

サクヤの出しているこの光は、レスタだ。
そうわかった時、フェイがSEEDの体を一薙ぎで分解していた。
ガルバが捨ててきたソードを拾い上げたフェイが、SEEDが完全に回復するより先にそれを破壊したのだ。

「これで終わった。もう助からない……」




(8)
フェイがとどめを刺さなかったのは、SEEDから少年が解放される小さな可能性に賭けていたからだった。
サクヤが膝をついて泣きじゃくり出す。マヤのレスタが功を奏し、サクヤは一命を取り留めていた。

「ごめんなさい、ごめんなさい…」

子どもが子どものように泣くといえば語弊があるが、サクヤは咽びながら謝り始めた。
マヤがその隣にいって背中を擦り、フェイを見た。

「あんまりそんな怖い顔しないでフェイ。この子の気持ちも汲んであげて」

懇願するようにマヤは言った。それを無視してフェイはサクヤに近づく。
サクヤは手で顔を覆っていたが、フェイが掴みあげて立たせたので、その手が一瞬だけ離れる。

パシン。
乾いた音が辺りに響き渡った。

「祈っても何もならないことだってあるのよ。星霊だって祈ってばかりの人間を助けたりしないわ。
本当に助けてあげたいなら、祈るよりも邪魔をするよりも何かすることがあったでしょう?」

咽びがわめきに変わるのに時間は要しなかった。
サクヤは、構えを解いたフェイに抱きついて大きな声で泣き出していた。

「うわぁぁ……っ…。ごめんなさい……」

その頭をなでながら、フェイはサクヤの耳元で小さく言った。

「でもよく耐えたわね。アナタの気持ちもちゃんと彼に伝わったはずよ」

何故か、関係のないガルバまで泣きたくなってきていた。
こういうのにガルバはとことん弱かった。マヤも指で涙を拭っているようだった。

「マヤ、その子。……まだ生きてると思う。そう時間は残されていないけど」

サクヤをしっかりと抱きとめながら、フェイが言った。
その背後で、SEEDに体を奪われていた少年がすっかり元の姿に戻っているではないか。
飛び散ったSEEDの時の肉片はジュージューと音をたてて異臭を放っていた。

「ほら、行ってあげなさい」

フェイがサクヤを離し、振り返った。
マヤがボロボロになった少年を抱き起こして、何か喋っている。

「おねー…ちゃん……ごめんね」

少年が、サクヤの顔を確認してそう呟いた。
サクヤは涙をこらえて近づいていき、そっと少年の顔に触れる。

「もう少し早く気づいてあげれたらよかったのにね……。お姉ちゃんも謝るね」

少年はニコリと笑った。もう、痛みすら感じていないのかもしれない。
マヤがそっと地面に少年を置いて、涙を流した。助からないことに気づいたのだ。

「おね……ちゃん…」

サクヤはそっと、何も言わずに少年の手を握った。
勇気をもらった少年は、そのままゆっくりと目を閉じた……。




(E)
静寂が辺りを包んだ。
サクヤとマヤが声を出さずに涙を流し続けている。

フェイはトウマと向き合っていた。
今度はしっかりと縛り上げ、トウマはフェイの支えがないと歩けない状態にされた。

その時ふと、体に拘束具をつけられながらトウマが呟いた。

「そうか…。あなたがあいつが言っていた雷光姫フェイですな。
なんという因縁でしょうか。これも星霊のお導きなのか、罠なのか……もう私にはわからない」

「あいつ?」

フェイは尋ねた。
トウマはSEEDウィルスのせいか、ぼんやりとした顔でこう応えた。

「アルベルトという男です。孤児院に災厄を持ち込んだ張本人です。
ウィルスを私に埋め込んで言いました。雷光姫がお前を倒しに来る、と……」

聞きなれた名前に、フェイの体は、背中から刺されたように一瞬だけ痙攣した。
急に冷や汗が流れ出し、頭がぼうっとするのを感じた…。

「アルベルト…。い、やな名前ね」

やっとのことで、強がってそう言ったフェイに、トウマはほへぇ、という生返事で応えた。
彼もだいぶ弱っているのがわかった。SEEDウィルスが発症しそうなのかもしれない。

アルベルト。
頭の中で繰り返されるその名前に、フェイは悪寒を感じ始めていた。


あの日、ユートピアで。
彼は確かに命を落としたはずだった。
意識がはっきりと戻った頃、フェイがガーディアンズの殉職者名簿に目を通した時も、彼の名前はあったのだ。

恐怖の連鎖がフェイの頭の中で繋がっていく。

ユートピアの悲劇。
SEEDで溢れかえった船内、アルベルトの懇願。


殺してくれ、フェイ!!もう耐えられないッ……!!


脳が爆発しそうになる記憶。
頭痛を通り越して体中に苦痛が走る。

そして今、SEEDウィルスに犯されたトウマが、アルベルトという名前を口にした。


生きているはずがない、生きているはずが……。
そう思えば思うほど、フェイの意識は混乱していくばかりだった。